映像のコスモロジー

「 映像のコスモロジーⅩⅢ」は、主催者の都合により延期となりました。
2009.2.14 (Sat.) – 15 (Sun.)
「 映像のコスモロジー ⅩⅢ 」
@アトリエ2001 神戸市 JR灘駅
start / 14:00
entrance / Free
作家・太田曜氏の御厚意により出品することになりました。
「映像のコスモロジー」
1995年の震災後に始まった毎年2月に行われる企画展。実験映画を中心に、舞踏、音楽、展示などを行う。主催は、神戸在住の映像作家・小池照男。
私の作品「climax」は新作プログラムで上映される予定です。

工作

物質としてのフィルムをいかに見せるかということに興味がある。映像の中で見せることが一番難しくやりがいがある一方、写真(ホームページのfragmentsのような)やフィルムの展示なども1つのやり方として考えていきたいです。

ということで、展示用にライトボックスを作ろうと思い立って、エレクトロニクス制作講座なるものに参加した。今井和雄トリオなどで活躍する鈴木學氏が講師となり、美術・音楽活動で使用するための道具を制作していくというもの。

はんだごてなど必要なものを見繕ってもらおうと思い、昼間の秋葉原部品購入ツアーから参加した。トランジスタやコンデンサなど、私みたいな素人には何のための部品かよくわからないけど、見ているだけで楽しい細々したものが沢山売っていた。休日ということもあるのだろうが、電子部品を購入する人達で小さなお店は鮨詰め状態。趣味で電子工作をする人って予想以上にいるんだなあ。

教室である千駄ヶ谷loop-lineに戻り、参加者が揃ったところで自己紹介を。パーカッショニスト、学生、作曲家、美容師など多様な方々がいて、自分と違う分野にいる人と関われるのは良い。

早速、練習課題のLED点滅回路の制作にとりかかる。講座とは関係なく、今井和雄さんや外国の方などが普通に飲みに来ていて、英語が飛び交ったり、いきなりテルミンの演奏が始まったり、まさに「るつぼ」である。

当日の初参加者数名と協力しあって、あーだこーだ苦戦しながらやっていたらあっという間にお開きの時間。パソコンとは違い、実際に手で物を触りながらの作業は楽しい。帰宅して回路を完成させたが、電池がないので上手くいったかどうか。

リアルタイム

フィルムによる即興パフォーマンスをしたいと思っている。
できない気もする。

スウィッチ1つで変化させるVJ的なものでなくて。
物質的・化学的に画像とサウンドトラックを変化させるような。

フィルムのライブパフォーマンスと言えば日本だと奥山順市さん、海外だとメタムキンくらいしか私は知らないのですが。奥山さんは、上映中にフィルムを映写ランプの熱で溶かしたり、ミシンで縫いながら映写したり。メタムキンはフィルムをループ再生させながら現像をその場で行うという噂を聞きました。何となく考えていることだけど、まずは破壊前提の映写機を購入しないと。

Don’t You Worry ‘bout A Thing

Funkafied Rainbow
スティーヴィーの74年のブートレグ・ライブ盤を聴きながら。
今年は実家で年を越します。栄養をつけます。

今月は胃が痛くなったり、首が痛くなったり酷かった。
胃が痛くなることは今まで無かったけど、やっぱり食生活が影響してるんだろうなあ。ストレスではない。と思いたい。野菜食べよう。
今年はまずまずの年でした。

冬至

先週、映像作家の太田曜さんの家に初めて訪問した。
自転車で10分程で、とても近いのだ。近いというのはやはりいい。

仕事部屋を拝見させていただいたのだが、本棚には絶版の実験映画・芸術に関する本・DVDなどが並んでいて、それを眺めるだけでも興奮してお腹いっぱいである。
スクリーン上に人々は何を見ているか等々話す。
16mmフィルム用の現像タンクも見せてもらう。

Bankartにアーティストインレジデンスで来日していたオーストラリアの映像作家Louise CurhamのDVDを観ることができた。8mmだが画像を直接操作する手法で、非常に親近感を覚える一方、クオリティーが高くて驚いた。撮影した素材がスローモーションの上に、スピードを調節しながら映写する為、時によって1秒間に5コマ程度(通常は18コマ)の超低速な画面の移り変わりの中で、粒子の物質感が幻想的に浮き上がってくる。8mmは、8mm的な質感がありすぎるので私は最近使っていないが、これには参った。
http://www.bankart1929.com/finish/louise_curham.html
youtubeにも自身で作品をアップしているみたいだが、画質が悪すぎる。

環境

イベントの画像を少し明るくした。
映写の画面以外が真っ黒で見えないとの指摘があったので。

自分のPCではそんなことはなかったのだけど、使っているPCによっては色調や明度が異なるから、そりゃそうだ。結構ギリギリのレベルにしてたし。出た、またしてもこの問題。
今年に入って、作品のDVDやホームページを作って痛感したのがその点。PC環境によって見え方が異なるので、誰が見てもある程度のものが見えるように工夫が必要になる。悪く言うと、妥協をするはめになる。(みなさんは悪くないです。)特にネットの情報はユーザビリティを考慮する必要がある。

家で聴く音楽も当てはまる。いくら解像度を高くして最高の音質でCD作っても、最悪の場合、購入した人の再生環境がPCのスピーカーなんてこともあり得るわけだし。まあここは作り手が妥協する必要はない。
要は、本当に作り手が納得した条件で鑑賞できる場は、ライブであるということ。写真集などの紙媒体はまだいいが、これもやはり実物のプリントを見に行くべき。絵や彫刻、演劇、その他も然り。

食に置き換えると、作って出されたらすぐ食べろということだ。
ただし、蓋のしてある丼ものやうな重は、場合によりちょっと蒸らす時間が必要だ。
DVDも気軽でいいけど、できれば映画は劇場で。
そもそもDVDは画質が悪い。

フィルム映写機はデジタルプロジェクターと違い、明るさ以外はどの映写機でもほぼ同じ条件なので、調整する煩わしさが無くて素晴らしい。

David Mancusoがわざわざ自前のサウンドシステムを持ち込んでパーティーをするのは良く分かる。だから次回は行きたい。ATAKも池田亮司も生が良いだろう。無論、音質以外の部分でも。
結局、所持金の問題が付き纏う。

Sound Screening take1

SoundScreening_take1
ご来場して下さった皆様、ありがとうございました。
オペレーションの面はもっと改善しないと。
自分としては内容はとても良かった。

ご覧になって頂いた方にはお分かりかと思いますが、牧野さんは映像に背を向けて演奏していました。

今回の試みは、「映像に音をつける」のではなく、同じ場でそれぞれ単独で存在させたら、どのような関係が見出せるかということ。だからといって、陽気なパンクを流せばいいじゃない?とはならないのだけど。
映像と音を別々にしかし同時に鑑賞するという不思議な体験だった。
音と映像は結びつきが強くて(先入観というのはすごい)、映画やTVの画面と音、あるいは日常の風景と聞こえる環境音というのは、1つのパッケージとして馴染んで認識するのが通常だけど。この日は、視覚と聴覚が、独立して機能していることを感じた。脳科学的にあり得ることか。音楽聴きながら本を読むことができるから。でも、今回のはそれとはまた違った感覚だったなあ。映像がある程度、観客の視覚(時間とか視点)を拘束することと、ライブの緊張感によるものが大きいと思う。

あとは牧野さんの演奏と、私のフィルムにそれぞれ断続的なバリエーションがあって、ズレていたのがよかった。時たま、映像と音が寄り添っている場面があって、ハッとしたりして。多様な感じ方があったかと思います。
と、ひとまずこんな感想。

欠陥

夏は外より暑く、冬は外より寒い家で過ごしてます。
不思議だな。

今週木曜の上映作品。
「12月の記憶」 2007
「climax」 2008
「untitled(タイトル未定)」 2008
「scene 1」 2008 with 牧野琢磨

休憩入れて、1時間程度の内容です。
チケットは当日券のみ。

首が痛い。首が痛いのは日常生活にかなりの支障をきたす。
集中力も途切れがち。
11日のイベント用に新作を何とか完成させるよう頑張ってます。
すべて未公開作品となります。
気分転換。映像は普通だが曲がいい。

Pat Metheny Group – Slip Away (1989)

白黒カラー

白黒はある種のカラーである、と言いたいのではなく、白黒フィルムの中にピンク色が入っていた。恐らくハレーション防止層(※)だと思う。
pink
この色の着いた層は、乳剤層とベースの間に存在していて、通常は現像中に脱色される。(なので、いままで気がつかなかった。)白と黒と無色透明の間に隠されたピンクを表出させる。削らずにあくまでも現像によってなのだが、この作業は、リンゴの皮をいかに薄く剥くかということに似ている。ということを、実家から送られてきたリンゴを剥いていて思った。


フィルムは乳剤層(画像を形成する層)とベース(ポリエステル等の支持体)でできている。乳剤を通過した光が、ベース面で反射し、再び乳剤層に戻って来る場合があるのだが、これはハレーションと言って、光が散乱したような画になってしまう。これを防止するために、通常は乳剤と接していない外側のベース面に黒色のハレーション防止層が塗られている。今回のフィルムは、乳剤とベースの間に着色されたゼラチンが防止層として存在している。